天文航法 (てんもんこうほう)
 |
図 星の高度と位置の圏 |
 |
写真 気泡六分儀(坂井田洋治氏より資料提供) |
★「航法」について
飛行機や船が、現在位置を正確に知り、目的地まできちんと進む方法を「航法」といいます。現代は、カーナビにみられるようにGPSが普及し、現在位置を簡単に知ることができるようになり従来の航法があまり必要なくなっています。しかし、GPSの場合は通信の故障や電気機器類の故障などがあれば即座に使えなくなるので、伝統的な航法もいまだに重要です。
航法にはいくつかの種類がありますが、代表的なものは、地文航法、推測航法、天文航法です。地文航法は地上の目印(山や川、線路など)を見て飛ぶ方法です。戦時中の陸軍の飛行機は主にこの航法を用いていました。これに対して何の目印もない海の上を飛ぶ海軍の飛行機は、推測航法と天文航法を用いていました。推測航法は、飛行機の進行方向と速度から地図を使って現在位置を推測する方法です。飛行機はまっすぐに飛んでいるつもりでも、風に流されてしまうので、どれだけ流されているのかを海の波頭などをみて推測し針路を修正していきます。けれども、夜間飛行のときや雲の上を飛行するときは、海の波頭は見えないので、天文航法を使います。天文航法とは、目印にするいくつかの星の高度(水平線からの角度)をはかって、そこから自分のいる緯度・経度を算出するやり方です。
★ 天文航法〜星を測って自分の位置を知る方法
星の高さ(高度)を測ると、どうして自分の位置を知ることができるのでしょうか。
図をみてください。自分がたっている場所Aで天頂に見える星αの高度は90度です。その星αが、高度90度で見える位置は、Aしかありません。 ではその星の高度が80度で見える場所はどこでしょうか。Aから10度分離れたところになり、それは一つの円を描きます。これを「同高度圏(位置の圏)」といいます。つまり、一つの星の高度をはかると、観測している場所が円のどこかである、ということがわかります。同高度圏は直径が何千qにもなる非常におおきな円なので、数百キロのスケールで考えるとほぼ直線となります。それを「位置の線」といいます。1つの星の位置の線だけでは、その線上のどこにいるのか、わかりませんが、3つの星(2つでもよい)の高度をはかると3本の位置の線が描け、それが交差する場所が、自分のいる場所ということになります。
この方法によって位置を知るには、星の高さを正確にはかる必要がでてきます。高度1度の差は、60マイル=およそ100qの差になってしまいます。そのための道具が、六分儀(ろくぶんぎ、ろっぷんぎ)です。航海用で使われていたものと、航空用で使われていたものは形が違い、航空用のものは「気泡六分儀」と呼ばれ、写真のような形をしていました。これは、実際に、戦時中に使われていた「気泡六分儀2型改」という形式のものです。
<ウィンドウを閉じる>
陸上爆撃機「銀河」 (りくじょうばくげきき 「ぎんが」)
今から60年あまり前、日本は日中戦争から太平洋戦争へと続く長い戦争のさなかにありました。空には戦闘機や爆撃機が飛び交い、特に太平洋戦争中はいろいろな種類の飛行機が作られては、散っていきました。有名な零戦(零式艦上戦闘機)や一式陸上攻撃機など世界的にもその高性能が知られています。その中に「銀河」という美しい名前をもつ陸上爆撃機がありました。零戦のスピードと一式陸攻の航続距離、1トンの爆弾搭載量を誇る、日本海軍の爆撃機です。「銀河」の乗組員は3人で、それぞれに「操縦員」「偵察員」「電信員」と呼ばれていました。
今回の番組の主人公・和夫は「偵察員」です。偵察員は、飛行機の案内役として「航法」を担当します。それ以外にも、爆撃・写真撮影・機銃の操作なども受け持ちます。和夫のような海軍飛行予備学生は、土浦航空隊での2ヶ月の基礎訓練の後、飛行適性と本人の希望、教官の判定などにより操縦員と偵察員に分けられ、偵察員は鈴鹿航空隊などでさらに7ヶ月間の学科・実技・飛行訓練の後、実戦部隊に配属されました。番組の中で和夫は、鹿屋航空基地に行ったのち、サイパン攻撃に出る際には香取基地から出発しました。そして最後の沖縄戦は、再び鹿屋から出撃したのです。
|
 |
|
番組の主人公・和夫が行った、鈴鹿、鹿屋、香取の各基地と、硫黄島、サイパン島 |
<ウィンドウを閉じる>
天測暦・航空天測表 (てんそくれき・こうくうてんそくひょう)
実際に、「位置の線」を地図上に描くためには、まず、星の方位を計算からもとめる必要があります。その計算に使うのが、毎日のさまざまな時間における星のデータを示している「天測暦」です。戦時中、「天測暦」は、海軍水路部(現在の海上保安庁水路部)で計算され、作成されていました。 それを機上でも簡易に使えるように、と、自分のいる推定緯度と正確な時間がわかれば、代表的な星の高度と方位がわかるようになっている「航空天測表」というものが、戦時中に作られるようになりました。昭和19年から20年には、学徒動員の女学生たちが計算を行い、この航空天測表を作っていました。この資料は、終戦後、民間の船舶などの「航海用天文暦」に再編成され活用されました。
 |
「航空天測表」 昭和19年 より |
<ウィンドウを閉じる>
ご協力いただいた皆さま
取材協力: 浅川 保、飯島 美以子、石川 安雄、北澤 法隆、小見山 延子、近藤 弘之、
坂梨 誠司、神野 正美、杉田 悦子、田口 玄一、田中 匡生、塚越 雅則、
林 きぬ子、林 恒子、平山 幸夫、福永 照子、丸山 泰輔、諸星 廣夫、
山岡 正夫、山田 久子、米澤 雅子、渡辺 勇
東京都立白鴎高校同窓会
資料協力: 昭和館、防衛庁戦史部、株式会社タイガー、
三枝 義一、坂井田 洋治、波田野 百合子
写真提供: 光人社、海上保安庁、すみだ郷土文化資料館、朝日新聞社、毎日新聞社、
郷土出版社(「目で見る鈴鹿・亀山・関の100年」)
山梨県立甲府西高等学校
石川 安雄、榎本 哲、塚越 雅則、平山 幸夫、丸山 泰輔、
諸星 廣夫、山岡 正夫、渡辺 勇
<ウィンドウを閉じる>